なでしこジャパン 欧州女王のオランダ女子代表に2-6で敗れる~アルガルベカップ2018~

2018年3月27日

なでしこジャパン 欧州女王のオランダ女子代表に2-6で敗れる~アルガルベカップ2018~

アルガルベカップ2018
グループリーグ第1戦 vs オランダ女子代表
2018年2月28日(水) キックオフ時間 15:40(現地時間) 試合時間 90分(45分ハーフ)
Estadio Municipal da Bela Vista(ポルトガル/パルシャル)

なでしこジャパン 2-6(前半1-5、後半1-1)オランダ女子代表

得点
4分 失点(オランダ女子代表)
8分 失点(オランダ女子代表)
31分 失点(オランダ女子代表)
35分 失点(オランダ女子代表)
38分 中島依美(なでしこジャパン)
44分 失点(オランダ女子代表)
52分 失点(オランダ女子代表)
82分 岩渕真奈(なでしこジャパン)

スターティングメンバー
GK:池田咲紀子
DF:鮫島彩、三宅史織、市瀬菜々
MF:阪口夢穂、有吉佐織、中島依美、隅田凜、長谷川唯
FW:櫨まどか、田中美南

サブメンバー
GK:山根恵里奈、山下杏也加
DF:宇津木瑠美、熊谷紗希、高木ひかり、大矢歩、清水梨紗
MF:猶本光、増矢理花
FW:菅澤優衣香、岩渕真奈、横山久美

交代
HT 有吉佐織 → 清水梨紗
HT 三宅史織 → 高木ひかり
HT 櫨まどか → 横山久美
70分 田中美南 → 岩渕真奈
70分 中島依美 → 増矢理花

マッチレポート

アルガルベカップ2018の初戦は、試合前に降った大雨の影響で一時は試合の実施が危ぶまれたことが嘘のように、キックオフ直前から空は晴れ渡り、無事にキックオフ。対戦相手のオランダ女子代表は、昨年のアルガルベカップや親善試合でも戦ったこともあり、お互いに手の内を知る間柄で、その後行われたUEFA Women’s EUROで優勝しており、実力と勢いを兼ね備えたチームです。

前半は日本のキックオフ。試合は早々に大きく動きます。4分、日本のDFラインの背後にロングボールが入り、対応するも体を入れ替わられ、そこからゴール前への折り返しを決められて失点すると、8分には左サイドを崩されて再び失点。いきなり2点を追う厳しい展開となります。

その後日本はボールを大事に繋いで運びながら得点機会を伺い、オランダは最終ラインでボールを動かしながらスピードとロングボールを生かして前線を狙うという、お互いの特徴を生かしながらの攻防が続きます。日本は、田中美南選手、中島依美選手らがチャンスを作るも決められず、逆に池田咲紀子選手のファインセーブもあって試合はしばらく膠着状態が続きます。

再度試合が動いたのは30分、オランダのコーナーキックを一度は弾き返すも、こぼれ球を拾われて、ミドルシュートを決められて3失点目、続く34分にも失点し、0-4と大きなリードを許します。しかし直後の37分に、中央にポジションを取った長谷川唯選手と隅田凜選手の中央のパス交換から、タイミングよく抜け出した中島選手にスルーパスがとおり、これが決まって1点を返します。

反撃の狼煙を上げたなでしこジャパンでしたが、前半終了直前にはコーナーキックを頭で合わされて1-5。4点のビハインドを背負って試合を折り返します。

ハーフタイムにロッカールームで高倉麻子監督は、「もっとパワーを持って戦って、まずは1点返そう。このままでは終われないから、リスクを負ってでも前から行こう」と選手たちを激励して後半のピッチに送り出します。

後半から日本は一度に選手3人を交代。清水梨紗選手はなでしこジャパンで初の試合出場となります。

52分、日本の左サイドでチャンスを作られ、一度はゴール前で弾き返すも押し込まれて、大差のリードを許す日本にとって大事な次の1点がまたもやオランダの手に渡る展開に。その後日本は、長谷川選手のドリブル突破や鮫島彩選手のオーバーラップに、途中出場の横山久美選手が前線でよく絡み、オランダを押し込む時間を作ります。チャンスは作るもののゴールネットを揺らせず、70分に途中交代でピッチに立った岩渕真奈選手がドリブルで相手をかわしてゴールを奪い、ようやく2点目が入りますが、反撃もここまで。2-6と前半の大量失点が響き、大敗に終わりました。

グループリーグ第2戦のアイスランド女子代表戦は、中1日で3月2日(金)に行われます。

監督・選手コメント

高倉麻子 監督
思いの外あっさりやられてしまったので、選手たちはチームの狙いを含めてやろうとしてくれましたけど、うまくいきませんでした。後半は比較的自分たちの時間にできましたが、選手もプレーしながら話して調整している姿も見られました。非常に悔しい結果ですが、これを糧にしないといけません。チームとしてやれたこととやれなかったことをはっきりさせて、全員で共有して、整理してやっていきたいと思います。

DF #17 高木ひかり 選手(ノジマステラ神奈川相模原)
大会の初戦で難しい試合になることは分かっていたので、全員が強い気持ちを持って試合に入り、ベンチからも声をかけるなど、チーム一丸となって臨めていたと思います。後半からの出場でしたが、4点差をつけられた前半の流れを変えるためにも思い切ってプレーしようという気持ちでピッチに入りました。前半よりもボールは保持出来ましたが、自分自身がチームに良い流れを生み出すプレーが出来ず、後半立ち上がりに失点を許してしまい、悔しさが残っています。大柄な選手に対して球際で負けない強さを出していきたいです。次のアイスランド戦は中1日なので、今日の試合で出た課題を改善して、勝利を掴めるように頑張ります。

FW #11 田中美南 選手(日テレ・ベレーザ)
今日の試合はスコアを見ても分かるように、内容、結果ともに良くない試合で、良いところなく終わってしまいました。個人的にもチャンスがあったのにそれを生かすことができず、FWとしては決めなければいけなかったと思っています。中1日で次のアイスランド戦がありますので、落ち込んでいる暇もありません。チーム全員で修正して臨みます。

スケジュール

ALGARVE CUP 2018
2月28日(水) 2-6 グループリーグ 第1戦
vs オランダ女子代表(Estadio Municipal da Bela Vista)
3月1日(木) AM/PM トレーニング
3月2日(金) 15:25 グループリーグ 第2戦
vs アイスランド女子代表(Estadio Municipal da Bela Vista)
3月3日(土) AM/PM トレーニング
3月4日(日) AM/PM トレーニング
3月5日(月) 15:40 グループリーグ 第3戦
vs デンマーク女子代表(Estadio Algarve)
3月6日(火) AM/PM トレーニング
3月7日(水) 調整中 順位決定戦

※時間はすべて現地時間
※スケジュールは、チームのコンディションや天候等により急きょ変更する場合があります。

アルガルベカップ2018

大会期間:2018年2月28日(水)~3月7日(水)

なでしこジャパン(日本女子代表)戦:
第1戦 2月28日(水) 15:40(日本時間:24:40)vs. オランダ
第2戦 3月2日(金) 15:25(日本時間:24:25)vs. アイスランド
第3戦 3月5日(月) 15:40(日本時間:24:40)vs. デンマーク

全試合をフジテレビ系列にて全国生中継(一部地域を除く)

 

スポーツ・フォー・トゥモロー(SFT)プログラム 南米・日本 U-21サッカー交流 活動レポート:ガールズフェスティバル開催

2018年3月27日

スポーツ・フォー・トゥモロー(SFT)プログラム 南米・日本 U-21サッカー交流 活動レポート:ガールズフェスティバル開催

南米・日本 U-21サッカー交流プログラム4日目の3月24日(土)は、ガールズフェスティバルが開催されました。

フェスティバルには、6歳から12歳までの地元の女の子が約100名が参加。また、参加者を指導する立場として、JFAの山口小百合ナショナルトレセンコーチを始め、パラグアイサッカー協会に所属する女性指導者が10名、パラグアイのクラブチームに所属する関係者が10名、チリサッカー連盟の女性指導者が1名、ウルグアイサッカー協会の女性指導者が1名参加、さらにサポート役としてU-20パラグアイ女子代表及びU-17女子代表より約20名の選手が参加しました。

フェスティバルでは、参加者と指導者が8つのステーションに分かれ、ドリブルや、ミニゲーム、シュート練習等を実施しました。

参加者も指導者も、フェスティバルを楽しんだようで、笑顔が多く見られました。参加者の中には、今までサッカーをしたことのない子どももおり、最初は多少戸惑いながらも、フェスティバル終了後には他の子どもたちと一緒にボールが蹴られるようになっていました。

コメント

ドゥアルテ・ドミンゲス・ドィグナ  パラグアイサッカー協会 育成部門 アシスタント
この度は、このような素晴らしいフェスティバルをパラグアイにて開催していただきましたことを、心より感謝しております。パラグアイでは、今までこのようなフェスティバルをあまり開催したことがなく、体験したことのない練習メニューが数多くありました。お陰様で参加者・指導者共に大変貴重で楽しい経験が積めたと思います。今回のフェスティバルで得た知識やノウハウを是非活かしていきたいと思います。また、今後も継続的にこのような機会を設けられるよう、協会として努力していきます。

山口小百合 ナショナルトレセンコーチ、東海女子チーフ
パラグアイ、ウルグアイ、チリの指導者が積極的な姿勢でフェスティバルに参加してくれたことを嬉しく思います。指導者のレベルがわからない中で、最初は不安もありましたが、フェスティバルが始まると、自ら子どもたちへの声がけを心がけたり、子どもたちのレベルや年齢に合わせた指導内容に変更したりと、臨機応変に対応してくれました。子どもたちもとても楽しんでおり、またサッカーがやりたいという感想を聞くことができて何よりです。とにかく指導者の皆さんの「学びたい」という強い意欲に大変感銘を受けました。

「スポーツ・フォー・トゥモロー(SFT)」とは

スポーツ・フォー・トゥモローは、2020年に行われる夏季オリンピック・パラリンピック競技大会を東京に招致する際、IOC総会において安倍晋三首相が発表したことをきっかけに始まった日本政府が推進するスポーツを通じた国際貢献事業です。2014年から2020年までの7年間で、開発途上国をはじめとする100カ国以上・1000万人以上を対象としたあらゆる世代の人々にスポーツの価値を広げていく取組みです。

 

「春」だからこそ思い出したい、挫折・困難を乗り越えたサッカー選手たち

2018年3月26日

もうすぐ3月も終わり、4月が迫る今日この頃、皆さんいかがお過ごしだろうか。

春という季節はどちらかというと爽やかなイメージを連想しがちである。受験や就活を終え、桜が舞い散る中で期待に胸を膨らませながら新たなスタートを切る。「楽しみだ!」「頑張るぞ!」そんなウキウキした人々が街やSNS上にウヨウヨしている光景が多く見られる時期だ。

ただ、皆がウキウキした気分ではない。受験や就活で満足した結果が得られなかった人々は挫折感でいっぱいの中で春を迎えることになる。彼らにとって春は期待や希望のない状態でスタートを切らざるを得ない「残酷な季節」といえるだろう。

実は私も「残酷な春」を体感したひとりである。当時は周りが期待と希望に満ち溢れている中、ひとりネガティブな思いに耽っていた。

しかしそんな挫折や困難を克服し、地に足を踏みしめながら生きている人は決して少なくない。

愛媛FCジュニアユースの入団テストに落ち、高校、大学サッカーを経由して日本代表まで上り詰めたDF長友佑都(31・ガラタサライ)や、ガンバ大阪ユースへの昇格が見送られた中、高校サッカーからスターダムへのし上がった日本代表FW本田圭佑(31・パチューカ)など、花形サッカー選手でも皆が俗に言う「エリートコース」上がりではないのだ。

長友佑都

現在トルコ1部リーグの名門ガラタサライでレギュラーとして活躍する長友。中学進学時に愛媛FCのアカデミーの入団試験に落ちた経歴を持つが、そこから這い上がり、今では世界的なサッカー選手となった。

今回は彼らの他に「挫折・困難から這い上がったサッカー選手」を何人か紹介したい。今自分の将来に悩んでいる方は気持ちの整理がつかないかもしれないが、この記事を読んで少しでも前向きになれたら幸いである。

カカウ

国籍: ブラジル
ポジション: FW
生年月日: 1981年3月27日(36歳)

2000年代前半にドイツ・ブンデスリーガのシュトゥットガルトで活躍し、ドイツ代表としてもプレーしたブラジル出身のストライカー。2014~15年にはセレッソ大阪に在籍したことでも知られている。

ブンデスリーガでプレーする外国人選手のほとんどは自国クラブやスイス、オーストリアなど周辺国のクラブで活躍してからやって来るケースがほとんどだが、カカウは大きく異なる形でやってきた。彼はブラジルで全く活躍できず、半ば引退状態の中、サンバのダンスグループの一員としてドイツへやってきた。この時カカウ19歳。1999年のことである。

その後、彼はツテを頼りに当時ドイツ9部リーグに所属していたSVテュルク・ギュジュ・ミュンヘンに加入。当然アマチュア契約だったが、ここで活躍し2001年にニュルンベルクのリザーブチームへ移籍する。以後はトップへ昇格し、2003年、後に10年以上在籍することになるシュトゥットガルトへ加入。それから6年後、ドイツ国籍を取得し代表デビューを果たしたのだ。

カカウ

ちなみに彼は現在、ドイツサッカー協会で人種統合に関する部門の役員として活動中。多民族国家のドイツにおいて、外国人の身ながらアマチュアからトップまでほぼ全てのカテゴリーを経験してきた彼にとって相応しい役職といえるだろう。

ペリクレス

国籍: ブラジル
ポジション: DF
生年月日: 1975年1月2日(43歳)

1998~00年までセレッソ大阪、2003年に当時J2に所属していたサガン鳥栖、翌2004年にはJFLのSC鳥取(※現在J3に所属するガイナーレ鳥取の前身クラブ)でプレーしたブラジル人センターバック。

1991年に行われたFIFA U-17世界選手権ではブラジル代表の4番を背負い、レギュラーとして活躍。サッカー選手として華々しいキャリアを築くかに見えた。

※ちなみにこのときブラジル代表を率いていたのは、2007年に横浜FCを率いたことでも知られるブラジル人指揮官ジュリオ・レアル氏(66)である。

だがその後彼のキャリアは暗転。20歳を迎える頃にはサッカー選手の引退を余儀なくされ、信じられないかもしれないが、1997年頃まで岐阜県の自動車部品工場でいわゆる“出稼ぎ労働者”として働いていた。

しかし、「あまりにもサッカーが上手すぎる」と驚愕した同僚の勧めでセレッソ大阪の入団テストを受け合格。以後はセレッソ守備陣の中心選手として2年間、レギュラーとして活躍した。

2000年に行われたJOMOカップでは、日本代表と対戦したJリーグ外国籍選抜の一員として元イタリア代表FWロベルト・バッジオとともにプレーしている。

カフー

国籍: ブラジル
ポジション: DF
生年月日: 1970年6月7日(47歳)

試合終盤でも尽きることのないスタミナと絶大なキャプテンシーを持ち、現役生活で築いた代表キャップは歴代最多の142。言わずと知れたブラジル代表の伝説的右サイドバックだ。

日本との関わりでは、2003年に横浜F・マリノスと加入に合意するも、土壇場でセリエAの名門ACミランへ移籍したことでも知られている。

そんな彼だが、ユース時代に鳴かず飛ばずの連続だった逸話はあまりにも有名である。

7歳でサッカーを始めるも大きなインパクトを残せず、ユース年代でブラジルの名だたる有名クラブ(一説によると、コリンチャンスやパルメイラスなど9つのクラブ)の入団テストを受験するも全て不合格。18歳でようやくサンパウロFCの下部組織に加入するが、それまでは受けては落ち、受けては落ちの不遇の日々を過ごしていたという。

カフー

 

どのクラブでも必要とされなかった少年がサッカー界の伝説的選手へ。これは決してシンデレラストーリーではない。彼の諦めない姿勢が身を結んだ結果だろう。

いかがだっただろうか。

今回は3人のみの紹介だったが、ペリクレスと同じく工場勤務から這い上がったイングランド代表FWジェイミー・ヴァーディ(30・レスター・シティ)など、彼らの他にも挫折や困難を乗り越えて成功を掴んだサッカー選手は多い。皆、紆余曲折を経て成功を掴んでいる。

厚生労働省の統計によると、現在日本の平均寿命は女性87.14歳 男性80.98歳。1歳を1分に置き換えると、サッカーでいう1試合(90分)に近い。そう考えれば少々強引だが、高校・大学入試や就職試験に失敗(失点)したとしても、それは前半16~25分辺りに1失点したに過ぎないのだ。

ただ現在は受験・就活戦争の激化が進み、たった1度の失敗(失点)でまるで人生(試合)が終わったかのような印象を受ける。志望校に落ちた、行きたい企業に行けなかった。そんな理由で新たな学校で不登校になったり、自殺する若者も少なくない。私もしばらく部屋に篭りっきりになった。

しかし、これを先程のサッカーの試合に置き換えてほしい。あなたがもしそのような立場でピッチやスタジアムにいたらどうするだろうか。失点に絶望し、前半16~25分辺りでユニフォームを投げつけてピッチを後にするだろうか。決して安くないチケットを破り捨て、早々と席を立って帰路につくだろうか。

違うだろう。

きっと選手なら「まだ時間あるぞ!」「切り替えてやるべきことをやろう!」「焦るな!」などコーチングを通して周りのチームメイトを励ますのではないだろうか。またサポーターなら「まだまだこれからだ!」「大丈夫。追いつける!」と更に大きな声でチャントを高らかに歌うのではないだろうか。

16~25分の間に再び不運な形で2点目を入れられたとする。現実では“もうダメだ”と絶望のドン底に落とされがちだが、サッカーの試合に置き換えるとそれは“危険なスコア”。まだまだ逆転可能という発想にならないだろうか。

AFC U-23選手権

そう、「まだまだこれから」なのだ。これまでいくつもの逆転劇がサッカー史に刻まれてきたように、これから先、どんな運命が待っているかはわからない。最後まで諦めずにピッチを走っているときっと何かが起こるかもしれないし、それは人生でも同じではないだろうか。

この記事を読んでいる皆様には、希望を捨てずに人生を歩んでもらいたい。

初招集の伊東純也と阿部浩之…ハリルが評価する2人の持ち味とは

2018年3月24日

日本代表を率いるヴァイッド・ハリルホジッチ監督が、EAFF E-1サッカー選手権2017 決勝大会に臨むメンバー23名を発表した。

海外組やクラブ・ワールドカップに臨む浦和レッズの選手を招集できないため、多くの“初顔”が見られるメンバー構成に。中でも、今回の発表前から注目が集まっていたのが柏レイソルの伊藤純也だ。国内屈指のドリブラーとして知られ、世界にも通じる可能性のあるスピードを持つため、代表待望論が高まっていた。

ハリルホジッチは伊東について「スピードがあり仕掛けるタイプの面白い選手。違いを生める。90分間アップダウンができ、規律を守れる」として、日本代表に招集した理由を説明した。

同様に前線では川崎フロンターレの阿部浩之が初招集。技術の高いシュートで、今季川崎でゴールを量産。ハリルホジッチ監督は阿部のユーティリティ性を評価したようだ。

 「阿部はサイドでもプレーできるし、トップ下もできる。最初に50人のラージリストを作っていたが、そのなかでもチームとして良いパフォーマンスを見せていた選手を招集した。阿部はリズムチェンジ、スピードアップができる選手。彼も代表で見てみたいと思った」

ハリルホジッチ監督、2連戦で「勝利のスパイラル」を作る…選手にアピール求める

2018年3月23日

日本代表は、23日にマリ代表と、27日にウクライナ代表との国際親善試合に臨む。日本代表のヴァイッド・ハリルホジッチ監督は22日の会見で、この2試合の目的を「勝ちにいくこと」と定め、「勝利のスパイラル」を作らなければならないと語った。

対戦相手であるマリ代表の印象について「アフリカンパワーを前面に押し出す典型的なチーム」と語ると、「デュエルも厳しくやってくるチーム。私が以前、知ってるマリ代表よりはパワーがなくなってる印象はありますけど、ただ、欧州のビッグクラブでやってる選手もいますし、能力はあると思います」と続けた。

ケガにより「4~5人ほど予定していた選手が来られなかった」と話すハリルホジッチ監督。「いる選手で戦わないといけない」と不安を口にするも、「ほかの選手にチャンスを与えたいなと思っています。見せてほしいですね。さらに厳しい競争を作り出してほしい」と、出場する選手たちのアピールを促した。

マリ代表との試合で、選手たちに何を要求したいか?その問いにハリルホジッチ監督は「まずは、これまで沢山試合してこなかった選手もトライしてほしい」と話し、「後半は交代も考えています」と答えた。

日本代表、小林悠のPKで先制するも逆転許す…韓国代表の2点リードで前半終了

2018年3月22日

EAFF E-1サッカー選手権第3戦が16日に味の素スタジアムで行われ、日本代表と韓国代表が対戦。前半は3-1と韓国のリードで終了した。

朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)代表と中国代表を相手に連勝を飾った日本代表は、中国戦から3名を変更。GK中村航輔、DF車屋紳太郎とMF井手口陽介が復帰した。キャプテンは3試合連続で昌子源が務める。その他、今野泰幸、倉田秋、小林悠が3試合連続でスタメン出場となった。

試合は2分、伊東純也が右サイドからペナルティエリア内に進入する。これを韓国DFチャン・ヒョンスが倒し、日本はPKを獲得。小林のキックはゴールネット左隅に突き刺さり、日本が先制する。しかし、その後は韓国の攻勢が続き、13分に失点。23分には韓国MFチョン・ウヨンが直接FKを沈め、韓国が逆転に成功する。韓国は35分にも追加点を挙げ、前半は3-1で韓国の2点リードで終わった。

 

槙野、遠藤ら浦和守備陣は「選出の理由」を示せるか?レッズは5戦連続失点中

2018年3月21日

浦和レッズは公式戦5試合失点を喫している。しかし、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督はレッズの守備陣から3人を選んだ。

日本サッカー協会(JFA)は15日、マリ戦(23日)とウクライナ戦(27日)に臨む日本代表メンバー26人を発表した。浦和からは槙野智章、遠藤航、宇賀神友弥の3人が選ばれた。

彼らはチームで必ずしも結果を残すことができていない。浦和は今シーズン、公式戦5試合を戦ってわずか1勝。明治安田生命J1リーグでは白星がなく、槙野と遠藤が先発出場したルヴァンカップのガンバ大阪戦では4失点を喫した。クリーンシートも、今のところ一度も記録できていない。

個々のパフォーマンスを見ても、必ずしも万全とはいえない状態だ。J1第3節のV・ファーレン長崎戦では遠藤がPKを献上してしまうなど、直接的に失点に絡むシーンもあった。

実際、3人はクラブを通じて発表したコメントで選出への喜びを語りつつ、「その前に、大切な浦和レッズでのリーグ戦があります」(宇賀神)、「その前に週末の浦和レッズでの試合に全力を尽くし、勝利したいと思います」(槙野)、「まずはリーグの横浜F・マリノス戦があります。そちらに向けての準備をしっかりと行っていきたいと考えています」(遠藤)と、いずれも目の前のリーグ戦で結果を出したい趣旨の発言をしている。

果たして、3人は代表で存在感を示すことができるのか。その前のリーグ戦……第4節の横浜F・マリノス戦で勝利をつかむことができるのか。日本代表として気持ちよく欧州に飛び立つためにも、今週末のJリーグでは「それぞれが日本代表に選出された理由」、すなわち結果が求められるところだ。

「全日本」と「日本代表」の違い

2018年3月20日

セルジオ越後さんは、今でも日本代表のことを「全日本」と言っています。1964年の東京オリンピックでアルゼンチンを破ったり、1968年のメキシコ・オリンピックで銅メダルを獲得したりしていた頃は、「全日本」という呼び方の方がむしろ普通でした。「日本代表」という言葉が一般化したのは、1970年代後半のことだろう。

では、いったい、なぜ、「日本代表」のことを「全日本」と呼んだのだろうか?それを理解するためには、代表の歴史を知る必要があります。

日本が初めて国際試合を行ったのは1917年の5月9日のことだった(大日本蹴球協会発足前なので、JFAはこの試合をAマッチに認定していない)。

当時、日本、中国、フィリピンの3か国で開催されていた「極東選手権大会」という大会があり、その第3回大会が東京・芝浦の埋立地で開かれたのだ(会場は新橋と台場を結ぶ新交通「ゆりかもめ」の日の出駅辺りにあった)。この大会は、オリンピックのように陸上競技、水泳などが行われる総合競技大会でした。日本が本格的に参加するのは、この第3回大会が初。サッカーの参加ももちろんこの時が初めてでした。

日本は、その初戦で中国に0-5と敗れ、翌日のフイリピン戦でも2-15という大敗を喫してしまっていました。

その時の日本代表は、東京高等師範学校(東京高師)の単独チームでした。

次に日本のサッカーがこの大会に参加したのは、1921年の第5回上海大会でしたが、このときは「全関東蹴球団」という選抜チームが、国内予選で関西学院を破って代表となっている(この大会でも、日本は全敗)。日本が国際試合(対フイリピン)で初勝利を記録した1921年の極東選手権上海大会での日本代表は早稲田大学を主体としたチームでした。

現在の日本代表は、日本国籍を持っている選手全員を対象とした選抜チームです。だが、当時は国内予選に勝った単独チームが日本を代表して国際試合を戦っていたのです。

その後も、しばらくは同じ方式が続きました。国内予選を行って代表を決め、時には他のチームからの補強選手を加えたチームを大会に派遣したのです。

ちなみに、日本のライバルである中国も、ほとんどの大会で、国内予選を勝ち抜いた香港の南華体育会(サゥスチャイナ)単独チームでした。

現在の各国の代表チームは、年間に10数試合ほどを戦い、その間に短期合宿を何度か行ってチーム作りをしています。それでも、世界中の代表監督が「チーム作りのための時間が足りない」とボヤき続けているのです。

まして、1910年代、1920年代には国際試合は極東選手権大会だけ。つまり、2年に2試合しかなかったのです。しかも、東京と大阪の間も鉄道で10時間かかる時代のこと、代表合宿を何度も行うことは不可能でした。それなら、単独チーム(+補強選手)を出した方が強いと判断されたのだろう。

現在でも、世界最強のスペイン代表はシャビやイニエスタ、ブスケツ、プジョルなどFCバルセロナを主体としたチームです。また、2012年のEUROで準優勝したイタリア代表はユぺントスの選手が主力だったし、ポルトガルはクリステイアーノ・ロナゥドをはじめ、スポルテイング出身選手をそろえて戦っていました。単独チームのコンビネーシヨンを利用することは、今でも国際試合で結果を出すための早道なのです。

予選を勝ち上がった単独チームから全日本選抜チームへ

日本がスウェーデンに勝ったことで有名な1936年のベルリン・オリンピックでも、日本代表は当時の日本のトップリーグ、関東大学リーグで優勝した早稲田大学を中心とする関東選抜をベースにしたチームだった(朝鮮半島出身のMF金容植も参加しているが、彼も早稲田大学OBだった)。

じつは、これより前、1930年に第9回極東選手権大会が東京の明治神宮競技場を中心に開かれた時のチームは、日本全国から選手を集めた選抜チームだった(この大会では日本はフィリピンを破り、中国と3ー3で引き分けて、同率優勝ながら日本サッカー史上初めての国際タィトルを獲得した)。

だが、その次の1934年の極東選手権大会(マニラ開催)にも全日本選抜が送られたものの、チーム作りに問題があり、日本は1勝2敗の成績に終わっており、そのため、ベルリン・オリンピックのときは再び選考方針が変更され、早稲田主体の関東選抜を派遣したのです。

「日本代表」というのは、その時の協会が認定して、国際試合に派遣したチームのことです。それが、どのようなチーム構成であるかについては何の決まりもない。そして、かつて日本協会は国際試合に単独チームを送っていたが、第2次世界大戦後になると国際大会に「全日本選抜」チームを送ることが普通になったのです。だから、当時、「単独チームではない」という意識で日本代表のことを「全日本」と呼んでいたのです。

ところで、日本代表は1980年代の末に赤を基調としたユニフォームを着用したことがあるが(横山謙三監督の発案で「国旗の色」をべースとした赤に変更した)、それ以前も、それ以後も、青をべースとしたユニフォームを着用しています。

単独チームが日本を代表して戦っていた頃は、ユニフォームはそれぞれのチームのユニフォームをそのまま使っていました。例えば、最初の国際試合(1917年)で、日本代表=東京高師はいつもの海老茶のユニフォームに旭日旗をモチーフにした日本代表のエンブレムを付けて戦っていました。上海での初勝利のときも、日本代表は早稲田のえんじ色のユニフォームでした。

では、なぜ、全日本選抜(=日本代表)は青になったのか。

それは、1930年に初めて全日本選抜を編成して戦ったとき、主力が関東大学リーグで連覇中だった東京帝国大学(現在の東京大学)の選手だったので、東京帝大のユニフォーム(スクールカラー)のライトブルーをそのまま使つたのが始まりだったと言われています。それが、今でも日本代表が青のユニフォームを着けている理由なのです。

1990年代の初めにJリーグが発足し、外国人監督を招聘して日本代表が本格的に強化され、ワールドカップへの挑戦が始まった頃から、日本代表のユニフォームの青の色調は年を経るごとにどんどん濃くなってきています。今では濃紺、遠くから見るとまるで黒のユニフォームに見えることすらあります。

だが、東京帝大のスクールカラーは薄いライトブルーだったのだから、日本代表のユニフォームは歴史的にはライトブルーだったのです。

 

こちらはサッカー日本代表ユニフォーム2018通販ブログ。2018ロシアW杯日本代表選手、歴代日本代表 ユニフォーム情報をまとめ! さらに、ロシアW杯のグループリーグの組み分け、各代表チームの情報を豊富に取り揃えています。ぜひ一緒に見てみましょう。www.sports-instyle.com

日本とW杯で戦うポーランド代表MF、監督と握手拒否で「罰金1500万円」

2018年3月17日

日本代表がワールドカップのグループステージで戦うポーランド。

主軸選手のひとりがMFのグジェゴシュ・クリホヴィアクだ。28歳の大型MFはPSGからのローンとしてWBAでプレーしている。

ただ、チームは現在最下位に低迷中で、第30節のレスター戦でも1-4の逆転負けを喫した。

WBAのポーランド代表MFグジェゴシュ・クリホヴィアク

クリホヴィアクはこの試合に先発するも、1-1だった後半14分でベンチに下げられている。

その際、ある問題が起きていた。クリホヴィアクはアラン・パーデュー監督との握手を拒否し、交代への不満を露わにしたのだ。

その後、クリホヴィアクは謝罪したが、指揮官は罰金を科したことを明らかにした。『JOE』などが伝えている。

アラン・パーデュー(WBA監督)

「Greg(クリホヴィアク)は火曜日に私のもとにきて謝った。スタッフにもね。

私はどれほど失望したかを伝えた。罰金を科したことと、我々は前進するということも伝えたよ」

「私は彼のことが本当に好きなんだ。人としても選手としてもね。だから、あの行為には驚かされた。

私は彼にこうも言ったよ。『試合後半の初めのほうを見るべきだ。自分自身(のプレー)を見たら、自分のことを交代させただろう』ってね。

彼はちょっと笑っていたよ」

どうやら和解できたようだ。なお、罰金額は彼の週給に相当する10.8万ポンド(1,594万円)ほどだとみられている。

公式戦7連敗中のWBA。今週末は敵地でボーンマスと戦う。

残留のために負けられない一戦は、日本時間18日(日)午前0時にキックオフされる。

www.sports-instyle.comは定期的にサッカーユニフォームを掲載しながら激安のsports用品を提供しています、是非ご来店ください

バレンシア 2014-15新ユニフォーム

2018年2月12日

いつもブログをご覧いただき誠にありがとうございます!

今日紹介します商品は、バレンシア ユニフォームです

2000年代前半に2度のリーグ優勝やUEFAカップ制覇、CLでも2年連続で準優勝するなど、レアル・マドリー、バルセロナのライバルとして奮闘したバレンシア。

近年も2009-10シーズンから3季連続で3位に入ったが、一方で財政難により毎年のように主力を売却。ここ2シーズンは5位と9位に終わっており、新オーナーとなったシンガポール人実業家、ピーター・リム氏のもとで復調できるかが注目されている。

valencia-2014-15-adidas-home

Valencia 2014-15 adidas Home

バレンシアは今年5月、 adidasとの契約を発表。今週発表された新しいホームユニフォームは、白をベースにオレンジと黒を配したバレンシアらしい仕上がりとなった。

valencia-2014-15-adidas-home

胸はJinko Solarとの契約が終わったため今のところ空白のようだが、背中スポンサーとして新たにサッカー専門の有料テレビネットワーク「Gol Televisión(通称Gol T)」と契約。

valencia-2014-15-adidas-home

ユニフォーム自体はシャドーボーダーが特徴的な ボスニア・ヘルツェゴビナのW杯モデルと同じテンプレートを使用している。

valencia-2014-15-adidas-home

valencia-2014-15-adidas-home

左袖にはバレンシアが昨年から行っている「GLOVAL Respect」キャンペーンのロゴが引き続き入る。

valencia-2014-15-adidas-home

valencia-2014-15-adidas-home

25歳の攻撃的MFダニエル・パレホ。元「マドリーのカンテラ最高傑作」は昨季31試合に出場し、4ゴールを記録している。

www.sports-instyle.comは激安通販日本最大級スーパーコピー専門店、様々なスポーツ用品を提供しています

是非ご来店ください